企画者は語る

大昔の地球。人は食物の安定供給と引き換えに、定住と農耕の生活を選び、旅と自由と狩猟採集の生活を捨てた。もう移動せず、もう偶然を待たず、もう探さない、という生活は文明そのものだった。

そんなとき、一匹の山猫が集落に下りてきて、一人ぼっちの私と出会った。最初は警戒しあった私たちの距離はすぐに縮まり、やがて私と猫は一緒に暮らすようになる。この瞬間から人間と猫の関係は始まり、もう1万年以上が経過した。

1万年後を生きる私は、ぼんやりと桜のマイキーのことを考えていた。「桜」を検索すればすぐに芭蕉の句が出てくる。

さまざまのこと思ひ出す桜かな

検索という行為が突き返してくる本質。レジェンド「芭蕉」の、何も言ってないに等しく、何も積み重ねていないに等しい、おっそろしくシンプルな表現。人間は思い出す生き物だ。これが突き当りであって、行き止まりであるなら、マイキーの本だって出来るだろう。

どかっと遡って38億年前。最初の生き物が海で生まれた。海はわたしたちの故郷だが、今の私は海の中に入ってしまえば死んでしまう。もう故郷は受け入れてくれないのだ。羊水は海水と同じ成分で、今、お腹の中の赤ちゃんは海の中で生きている。そして、生まれ落ちた瞬間、海と母から永遠に疎外されるのだ。

2022年3月18日、マイキーをじっと見る。マイキーはいつも同じ表情、同じポーズをしている。よーく見ていると、なんだか彼の心はいつも穏やかだ。きっとマイキーは怒らないんじゃないか。怒りや、悲しみや、妬みという、私たちが払拭できない感情をきれいさっぱり捨ててきたのではないか。マイキーは、自分のことを大嫌いな人々を含めて、全ての生き物の幸せを願っているに違いない。

もう一度、1万年前。猫と暮らし始めた私は、猫の生き方に憧れを持つようになる。私は猫の行動ひとつひとつに、自分が失ってしまった故郷を見出してしまうのだ。

マイキーは積み重ねない。マイキーは今この瞬間を生きる。猫のように。猫だから。

トンカチ